お気に入りの窓ガラスを交換しなければならない

さまざまな種類のガラス

わたしがかつて住んでいた実家は、田舎にあったこともあり、築年数がもはや何年になるかもわからないくらいの代物でした。都内で生活するようになって、歴史のある古い建物がある記念館などを訪れたときも、実家の家のほうが歴史があるんじゃないかと思うほどでした。
そんなわたしがお盆と正月に実家に帰省するときに、必ずすることがあります。それはかつての子ども部屋、つまり自分が生活していた空間を満喫することです。わたしには兄弟が5人いますが、二階の大きな空間は、子供部屋として仕切りのないひとつの部屋として使っていました。末っ子だったわたしは、上の兄弟が成人し、自立して実家を旅立っていくたびに、少しずつ広がっていく子供部屋に不思議なさみしさと安らぎを感じていたのですが、それは自分が大人になって実家を出たあと、一度も感じることのできない感覚でした。つまりその空間と時間こそが、わたしにとっての故郷だったというわけです。
早朝は、朝陽とともに子供部屋には柔らかな光が差し込み、生命感が満ちていきます。
(参考:ガラスの交換を怠った結果大きなトラブルに発展

そして夕暮れ時には夕日とともにそこはかとない寂しさが、やはりその空間を満たしていくのでした。
この何とも言えない時間を演出してくれていたのが「窓ガラス」でした。実は実家の窓ガラスは年代物で、表面もなにか波打ったような感じになっています。生前、父は古いガラスで時間がたつと、表面が「垂れてくる」といっていましたが、まさに熱で少し溶けたような感じになっていたのですが、これが差し込む微妙な太陽光に不思議な効果を与えていたのです。
今年の冬、大寒波に見舞われた実家は深い雪に覆われました。巨大な氷柱が窓に押し付けられ、ヒビが入っていることに気が付いたのは元旦の朝でした。わたしのお気に入りだった窓ガラスは、こうして交換されることになりました。室内の独特の雰囲気もどこか変わってしまい、思い出の中でかろうじて居場所を確保しています。